そもそも赴いたライブのメモとして始まったこのブログゆえ、コロナで自分のライブが中止になったお知らせからずっと更新が止まっていた。
今考えると、それでもちゃんとパンデミック中の普通の人の暮らしっていうのも、年月が経過すれば貴重な記録になったろうに、なぜに放置してしまったのか、と後悔しきり。
その時は自分としてはなんとなく、気分で動いてたことが、後から思い返すと、それは「時代の大きな流れ」みたいなものに突き動かされていたんじゃないか、自分も「歴史」の一部だったんじゃないか、なんて思えることがある。なんでもない事でも、書き記しておいた方がやっぱりよかったなー。
フリーボの「すきまから」のLPがリリースされた。
円盤の商品ページ enban_shop
ターンテーブルが手元になかったので、ゆっくり買おうとのんびり構えてたんだけど、円盤twitterアカウントでの連投を見てたらもうしんぼうたまらず。
もうすぐ当店入魂の一作、フリーボ「すきまから」のアナログ盤が完成します!
— 円盤 (@enban_rikurosha) 2022年1月22日
リマスタリングで大きく飛躍したサウンドは当時CDで聴いていた人も驚くと思います。
見開きWジャケットの豪華版です。
当店と直販店では先行発売します
ご予約はこちら↓https://t.co/IsWp4gRviF pic.twitter.com/2vvnC1kXUE
ここにぶらさがるスレッド見て、プレイヤーがなくてもライナーは読めるぞ!と思ってそのまま円盤に注文しちゃった。
で、このライナーがとにかくすごい。充実したインタビューは、めぐちゃんザ・バンド嫌い問題とか今となっては微笑ましい話など盛り沢山。ジンタ解散直後にカラオケ行った時に、めぐちゃんと二人でザ・バンドなんて知らねーよなーとか文句言い合ってお酒飲んだの思い出して笑ってしまった。
田口さんによる解説はフリーボの存在とそれを準備した舞台としての'90年代論になってて、とてもライナーノーツとは思えない素晴らしい読み物だった。なんだこれは。
サニーデイサービスとの対比で、フリーボのメンバーの出自がアンダーグラウンドにある事を浮かび上がらせてるんだけど、これはすごくよくわかる、自分の体験としてすごくわかるところだった。
さて、ここからはひたすら自分語りに終始したい。音楽的な評は素晴らしい文章をいろんな人たちがいっぱい書いてくれると思うし。自分大好きみたいでずいぶんとみっともない事とは思うけど、もうどこかに吐き出さないと頭パンパンでたまらんので、書いてしまおうと思う。
まだマーブルシープにいた頃、タワーレコードの試聴機で、サニーデイの「若者たち」のレコジャケを見つけた時は、まず感じたのは「焦り」だった。
僕のロックンロール人生計画は松谷さんがお手本で、松谷さんは自分のリーダーバンドであるマーブルシープを27歳で結成してるから、僕も「自分のバンド」ってやつをその年齢までに組もうと思ってたんだけど、どんなバンドにしたいかはなんとなくイメージ出来ていた。
「若者たち」というタイトル、永島慎二みたいなイラストのジャケ、これはやばい、と。自分がイメージしてた自分のバンドそのまんまじゃないのかこれは。
で、試聴機で聴いてどうだったかというと、もうひと安心って感じだった。なんだろな、ネオアコの人たちがソフトロックやおしゃれなサントラとかを入れてた器の中身をURCに入れ替えた、って印象だった。
いやーあぶなかった、セーフセーフ。まだ自分の入り込む隙はあるぞ。
その後'94年末にマーブルシープが活動停止になって、翌'95年ジンタを結成するんだけど、当時僕は25歳だったからロックンロール人生は計画から2年前倒しで進捗してたわけだ。’96年、初ライブしたり初音源作ったり、自分なりに面白い事出来て、順調だな〜と思ってたところで、今度は試聴機に「すきまから」が入ってた。
よくライムスター宇多丸がスチャダラパーが出てきた時の事を「自分が乗るはずの電車が出て行っちゃった」と評するけど、僕にとっての「すきまから」はまさにこの出て行っちゃった電車だった。
もうね、焦り通り越して腹が立ったもん。なんて事してくれるんだよ、って。興味の対象の記号を入れ替えたとかそういう話じゃない、僕の好きなロックそのものだったんだろうな。
この2バンドに対する、好き嫌いとも違う自分の気持ちの違いって今までよくわかんなかったんだけど、今回ライナー読んで、なんか納得してしまった。
というのもそのライナーの中で、フリーボのアングラ性は特殊な例じゃなくて、'90年代のある時期のある場所で多く見られる現象だったという例の一つとして、ジンタの僕がマーブルシープのメンバーだった事が挙げられてたからだ。
ここ読んで鳥肌が立っちゃった。
僕はクラプトンからサザンロックに流れてアメリカンロックばかり聴くようになったクチなんだけど、宝島の読者でもあって、そこで紹介されてたライブハウス周辺の世界にもとても惹かれてた。自分の中ではこの2つ世界は引き裂かれた感じで、今考えるとどうでもいいと思うんだけど、わりと困っていた。
だからトミー・コンウェル&ヤングランブラーズを最初見た時、メンバーがどパンクなカッコで渋いアメリカンロックな曲調で、おおおいいのかこれで、と思ったもんだった。でもレコード聴いたらあまり面白くなかったんだよねぇ・・・。それはさておき。
最初にマーブルのライブを見たのは'90年、新宿アンチノックで、オープニングアクトがひろき真冬さんで、多分3周年記念ライブじゃないかな。1曲目でとにかく轟音でびっくりしたんだけど、「これはニール・ヤングのデンジャーバードだな!」って感激しちゃったんだな。たぶん曲はウルトラマンだったと思う。ジャーマンロックなんて言葉も知らないから、そう解釈するしかなかった。
なんだろな、憧れのライブハウスの世界と、アメリカンロックの世界が、マーブルとニール・ヤングでうまく混ざり合ったんだろうな。あまり引き裂かれた感じがしなくなって困らなくなった。
その後紆余曲折あってマーブルのメンバーになるんだけど、ちょうどその時松谷さんとチクワさんは轟音路線からグレイトフルデッドみたいな音を志向している時で、バンド自体が揺れに揺れてた時期だった。そこへひょっこりアメリカンロックしか知らない僕が現れたわけで、これ以上ないタイミングだった。僕はマーブルがそんな状況なのは全然知らなくて、まったくの偶然だったんだけど。
でも、ライナーの田口さんの90年代の丁寧な分析を読んだ後だと、そういう偶然が、実は時代の大きな流れに突き動かされた結果だったのかなって思えて、それで鳥肌が立ってしまった。
自分が「歴史」の一部だったんだ。
ザ・バンドが嫌いなめぐちゃんがフリーボに居たっていうのも同じだと思う。ただの古いアメリカンロック好きサークルの集まりだったらあり得ない。僕がマーブルにリーチ出来たのと同じ力学が働いたんじゃないかと思う。
そして「すきまから」が、いわゆる「名盤」である事にとどまらず、自分の人生の楽しかったあれこれが集約された存在にまで高められてしまった。批評ってやっぱりすごい力があるんだと思った。
プレイヤーが届いたので、早速針を落とした。ステレオの前で座って音楽を聴くなんてこと、何年ぶりだろうか。しかも正座。なんて素晴らしい音。すぐにCDと聴き比べたけど、CDは音の分離はよいけどコンプのかかり方が平板な感じがして、CDはクリアファイル、アナログは豪華装丁本と言った塩梅だった。これはデジタル/アナログの違いというより、マスタリングの差が大きいのかも知れないけど。とにかく素晴らしい仕事だと思った。
ひさしぶりのレコードプレイヤー。CDはもう全部処分してしまったんだけど、LPは聴けないままずっと取ってあった。それを棚の端からAから順番に全部聴いている。そんなに枚数はないのでもうCまで来てるけど、枚数少ない分、1枚1枚にまつわる思い出は結構鮮明で、どこでいつ買ったとか、誰に薦められたとか、懐かしみながら楽しんでいる。chocolate watch band と chic がなかよく並んでて、それだけで楽しい。プレイヤーを買うって決心したのも今回のリリースのおかげだ。石垣くん、田口さん、リリースに関わったみなさんありがとうございました。