【レコードとわたし】Arcadia - So Red The Rose

UK版'85年オリジナル。どこで買ったか不明、かなり安かった。外袋がないし、エサ箱にあったんじゃないかな。

邦題「情熱の赤い薔薇」の方がしっくりくる。

中学卒業した時、前述のデュランデュラン好きの菊地くんと、石塚くんとあとメカマもいたかな、有志で大阪から諏訪湖経由で軽井沢を回って帰ってくる結構な卒業旅行に行った。その時に菊地くんが持ってきてたこの盤を録音したカセットテープを借りて、旅のお供にして、何周も聴いた。だからこれを聴くとその風景が浮かんでくる。

あとホール&オーツのベスト盤。これは後述の予定。Dだからすぐ後です。

その時からB-2の The Promise が好きだった。イントロのピコピコ、ふいんふいんいう音(フレットレスベースというものを知らなかった)、スティングみたいなコーラス。借りたテープだったので、その後は聴かないできたんだけど、大学生の時か、卒業してからか、ふと聴きたくなって、安かったLPを買ったのがこれ。

そしたら!ピコピコ = ハービー・ハンコック!ふいんふいん = マーク・イーガン(初期のパットメセニーグループとか)!スティングみたいなコーラス = スティング!ほんで、ギターがデイヴ・ギルモア!

大人になってわかる、まるで夢のような世界だ・・・おそらくメンバーたちも夢のような世界だとか思ったであろう。

スティング、あれだ、ダイアー・ストレイツのマネー・フォー・ナッシングと同じ立ち位置だわ。あれ聴いて呼んだのかも知れない。アレックス・サドキンだかが。

土屋昌巳が、テレ東のロックTVだったか、違ったか、司会の人にこのアルバムのどの部分のギター弾いたのか訊かれた時、「ぞうさんの鳴き声みたいなところとか」って答えてるのを覚えている。だいたい全編弾きっぱなしだったらしい。

というか土屋昌巳が司会だったんだっけ。深夜の帯で、何曜日だか。この番組で「今日はブレーキングというギターのテクニックを解説します、とても難しい奏法なんですよ、では映像を見てみましょう」って言って、ストラトを破壊するリッチー・ブラックモアの映像を流す、とかやってて、土屋昌巳は本当に面白い人だなと思った。

ロックTVは月曜日がなぎら健壱大友康平、Show Me 以前の森川由香里の三人で面白かった。あの頃の森川由香里はキュートであったよ。しばらくShow Me の人とつながってなかった。

で、中学の卒業旅行の話。僕はその時足を骨折していて松葉杖を使っていた。名古屋行きの夜行に座って乗ろうと、電車が来るうんと前の早い時間から並んでたんだけど、乗車の時はすごい混雑で危ないので、菊地くんたちが先に入って席を取って、僕とつきそいの石塚くんは後から入ることにした。

そしたら、僕は松葉杖だからすんなり座れたんだけど、酔っ払いのおっちゃんが石塚くんを横入りだ、座らせろと文句つけてきた。かなりの剣幕で、いくら怪我をした友人のために席を取ってたんだと言っても全く聞く耳持たない。

車内はぎゅうぎゅうの混雑で、周りには一部始終を見ていた大人がいたのに誰も助けてくれない。中学生がおっちゃんに大声で詰め寄られてるのに。信じられなかった。

随分と長い間石塚くんはおっちゃんを説得してたんだけど、急に「わかった、そしたらジャンケンしましょう!」って言い出した。

はあ?なんでジャンケン!どう考えてもこっちに非はないのに、なんでジャンケン!と僕は思ったんだけど、おっちゃんが「よし、わかった!」ってノリノリだったので、勢いに負けてそのまま見はまってしまった。

で、石塚くんはジャンケンに見事に勝利して、僕の隣に座ることになった。おっちゃんも大人しく引き下がった。すげえなづかごん(石塚くんのあだな)!

しばらくみんなで喋ってたら、すっかり素に戻ったおっちゃん、「なんだ!お前ら友達か!早く言えよ!」とゲラゲラ笑った。さっきから言ってたよ!と思ったけど、なんかその笑顔とづかごんの豪快さで気分が良くなってしまった。

石塚くんは10年くらい前のクラス会以来、ずっと会ってない。携帯をよくなくすので、番号がコロコロ変わって連絡がすぐ取れなくなるのだ。

づかごん元気でいるかね。またピン太くんと飲もう。

(2022/2/18)

【レコードとわたし】Duran Duran - Seven And The Ragged Tiger

国内盤’83年オリジナル。もちろん中学生の時買ったもの。いや、買った覚えがないんだけど、誰かの持ってきちゃったかな。弟のかな。でも弟は小学生だったからなあ。

すんごい音が超いい。A-1 Reflex のクリアさにびっくりした。ほこりの音はぶちぶちいうけど、気にならない。

帯にある通り、邦題では Ragged をラグドと表記しているため、ずっとそう発音するんだと思ってたんだが、時は流れて’90年、ニール・ヤングの Ragged Glory が出た時、ラグド・グローリーって発音したら、大学OBの僕にとってのサイケ導師、八景さんに「それはラギッドと読むんだよ」と訂正されて、正解を知った。さすが八景さん、群馬No1校、高崎高校出身だぜ、と思ったもんだった。

中学の時、デュランデュラン好きの菊地くんって友達がいて、彼はよく Reflex のイントロを口三味線してたんだけど、ギターのフレーズの、チャッチャッチャッチャ、って部分だけで始めるから別の曲みたいで面白かった。

普通、チャンチャランってシンセのフレーズ歌うでしょ、あのイントロは。

菊地くんとは、もう大学卒業してから、実家に帰るバスの中でばったり会った。彼は仕事で大阪に住んでいて、同じく実家に帰るところだった。顔がまったく変わってなかった。僕の実家に寄ってもらって、二人でちょっと飲んだ。

彼は新しい音楽を追ったりはせずに、あの頃好きだったものを聴いていると言っていた。でもデュランデュランは新譜も買い続けてたそうだ。ウォーレン・ククレロ時代とか。結果的に、渋いな!

もうそれも25年は前の話だ。キッコ(菊地くんのあだな)元気かな。

(2022/2/18)

【レコードとわたし】The Early Cream Of Eric Clapton, Jack Bruce & Ginger Baker

年代も国も不明。

‘80年代後半くらい、原宿の竹下通りの裏に、ビートクラブって三大ギタリスト関連専門店があった。原宿に行くたびに寄って、高いレコードが飾ってるのを眺めてた。その店が入ってたビルは、他にもゲットバックってビートルズ専門店と、あとエルヴィスの店もあったかな、2階建ての小さい変なビルだった。店はなくなってるけど、まだ建物はあるんだろうか。

これはそのビートクラブで見かけて、クリームの未発表初期音源かと思って買った。聴いてみたらホーンが入ってるしボーカルも違うし、明らかにクリームじゃなかった・・・それぞれのメンバーのクリーム結成前の音源なんだなーと納得して、これはこれでありがたく聴くことにした。

うんと後になって、これはなんのことはない、ヤードバーズの Five Live と、グレアム・ボンド・オーガニゼーションの Live At Klooks Kleek から3曲ずつ選んだ、ただのコンピレーションだった。しかも音悪い・・・その音の悪さでなんか発掘音源ぽく思っちゃったんだな。

高校2年か3年だったか、レコードで騙されるという生まれて初めての経験だった。というわけで初めて聴いたヤードバーズはこれです。とほほ。

でも Early In The Morning はすぐに気に入った。どこかの民謡みたいでかっこいいー。何年か前のジンジャー・ベイカーのコットンクラブ公演でもやってくれて嬉しかったな。

(2022/2/17)

【レコードとわたし】Cream - Live Cream Volume II

国内盤’79年再発。これも黄色い帯シリーズ。’87年か'88年、吉祥寺ディスクオーツカで新品一割引だと思われる。

ライブのvol.1はなぜか買わないまま来てしまった。結局40歳過ぎてからCDで買った。

vol.2の最後の曲は Hideaway 表記になっている。本当は Steppin’ Out のはずなのだけど、調べると日本では’75年再発からHideawayになったらしい。なぜだ。

レコード棚の位置、ブラインドフェイスもクリームもそれぞれBとCのところにあって、クラプトンのEのところじゃなかった。クラプトンの扱いの軽さよ。かわいそうになってきた。

(2022/2/17)

【レコードとわたし】Cream -Goodbye

国内盤’80年再発。これも黄色い帯シリーズで、’87年か'88年、吉祥寺ディスクオーツカで新品一割引だと思われる。

B面を最初聴いた時は、これまでのクリームのイメージと違ってて、なんかビートルズみたいでいやだった。曲調が急にポップになっただけでなくて、アレンジや音像が賑やかで、ヒリヒリした緊張感がない。でもこういうのもやりたかったんだろうな。最後の What A Bring Down はよかった。

こうしてクリームをまとめて聴くと、僕はジンジャー・ベイカーの曲が好きみたいだ。Blue Condition、Passing The Time, Those Were The Days、What A Bring Down。ねずみといのししも。

(2022/2/17)

【レコードとわたし】Cream – Wheels Of Fire

国内盤'79年再発。黄色い帯のクラプトン再発シリーズ。高校生の時、'87年かな、吉祥寺ディスクオーツカで新品多分2700円かなー。一割引きで。

吉祥寺レンガ館のレコファンに、金色ジャケのが5000円で長いこと置いてあり、いつも「うん今日もあるな」って確認してた。それがプレミア価格のレコードの存在を実感した最初じゃないかな。

意を決してライブ側もちゃんと聴いた。昔は長いなーと思ったけど、えっもう終わり?って感じだった。このくらいのダラダラ長いソロ、たくさんライブで見たし、自分でも散々やったからなあ。やっぱりいいな、ダラダラ長いのって。

クレジット見直すと、本当に四人だけで作ってるんだね。ヴィオラ、チェロ、チューブラーベル、パッパラルディ含めてみんなでいろんな楽器弾いてる。でもクラプトンだけはエレキギターしか弾いてない。アコギすら弾かない。マジでギターバカ。

(2022/2/17)

【レコードとわたし】Cream – Disraeli Gears

国内盤'78年再発。とDiscogsにはあるが、ライナーのクラプトン年表は’79年まで網羅しているのでおそらく間違い。黄色い帯の2,000円のシリーズ。

生まれて初めて人前で演奏した曲が Sunshine Of Your Love だった。リフの繰り返しだから耳コピ楽だったし、誰も知らないから粗くてもバレないだろうし、なにせ自分が好きなんだからしょうがない。

僕はシックを聴いてギターを始めようと思ったんだけど、楽器屋さんでそんな話を店員さんとしてたらえらく食いついてくれて、それが松浦さんという人だった。

松浦さんは、そういうバッキングに凝る人はプロになれるよ、って夢いっぱいの16歳(まだ15か)に嬉しい事を言ってくれたりして、アース・ウィンド&ファイアとスタッフがいいよってすすめたりしてくれた。

なんて事言いつつ僕は結局クリームだなんだ、古いロックにはまっていくんだけど、松浦さんは古いロックも詳しくて、彼に会いによく島村楽器に通った。

高校1年の秋頃にはもう最初に半額で買ってもらったヤマハSEだと物足りなくなって、クラプトンの持ってたような黒いストラトが欲しくて、生まれて初めてのバイトを始めて、これまた生まれて初めてのローンを、親父さんに保証人になってもらって組んだ。

フェンダージャパンの8万円くらいの、ピックアップ がUSAのやつが欲しかったんだけど、店頭にはないので松浦さんに注文してもらった。

そしたら黒は売り切れとの事で入荷未定、松浦さん、独断でタバコサンバーストに変更してた。独断ってすごいよな、今考えると。まあでもまあいいか、って事でそのまま入荷を待つことにした。

で、届いたって事なので島村に行って現物みたら、いやータバコサンバースト、かっこいいのなんの。ドミノスの頃みたいでしょーとか松浦さん言ってたけど、その頃まだドミノス知らなかったからよくわからんかった。けどこれは黒よりこっちだったな、とすぐに気に入った。

あと3点スイッチなのも渋かった。不便だったけど、そこがまたよかった。

高校2年くらいかな、松浦さんは結局西葛西から京葉線沿線の店に異動になってしまった。海浜幕張か、稲毛海岸か、そこらへん。夏休みに、ギター担いで松浦さんに会いに行った。遊べるかなーと思ったんだけど、結構忙しくて、店で一人で試奏させてもらったりして待ってた。

やっと閉店間際で時間ができて、僕は今度バンドで Sunshine Of Your Love をやるんですって言ってリフを弾いて見せたんだけど、僕は5フレットでDをがっつり弾いてて、そしたら松浦さんが、こうやって弾くんだよって10フレットのところでD7をグッと本物っぽいボイシングで弾いて見せてくれた。

僕は誰かにギターを習ったりした事がほとんどなくて、思い当たるのはこの時くらいだ。だから松浦さんは僕にとっての唯一の師匠みたいな存在だ。

松浦さんは結婚して、相手の姓に変えてたんだけど、確か山田さんとかそういう普通の名字だったはずなんだけど、よく覚えてない。「松浦」というのもおぼろげだったんだけど、高校の時に書いてた日記めいたものが見つかって、彼と初めて会った時の事が書いてあったのでやっとわかった。'86年8月11日だった。

お元気かな。

タバコサンバーストのストラトはその後べっ甲ピックガードにしたり、センターPU外したりして、ジンタの頃までずっと使い続けた。今もあるけど、もうネックもそってフレットも減っちゃって、隠居している。黒だったらこんな使い続けなかったと思う。松浦さんには感謝しかない。

(2022/2/17)